被害者の実名報道には反対します

 ここのところアリジェリア事件で亡くなった方の実名報道が問題になっている。そこで自分も書いておこうと思う。

「人質犠牲者の実名は非公表」を支持する遺族、一方で「弔いのために」公開せよという記者も

などが注目されてる記事です。個人的に「アホか?」と。

 個人的な意見だが、マスコミが「弔いのために」なんて思ってるはずがない。ただただ数字が欲しいからである。匿名より実名の方がウケが良い。注目される。だからやる。だと思ってる。もし本当にマスコミの中の人に人間の心があり被害者の方に配慮できる心があるなら今回の件も起きなかったはずだ。

 そもそもの実名報道の議論ではやり方としては基本2通りしかない。オプトアウトオプトインだ。基本実名報道しもし載せてほしくなければ教えてね、というのがオプト”アウト”、基本実名は載せないけど載せてほしい場合は教えてね、というのがオプト”イン”。現在、マスゴミは基本的にオプトアウト方式だ。いや、これは正確じゃない。載せないで、といっても載せるからだ。結局、個人には何の権利も力もなく、マスコミ側が載せたいものを載せる、というのが現状だと思う。残念ながら。その張本人がとても残念な方向性なので多くの犯罪被害者がさらに被害を受けることになっている。

 もしノーベル賞や直木賞などを受賞したり良いことであれば実名を載せられて嫌な気になる人は少ないだろう。誉れでもあるし、周りの人にも祝福してもらえる。犯罪加害者側についても、その名前は記録しておくべきだし、社会のためにも表に出した方が良いと思う。そもそも他人の権利を踏みにじって犯罪を犯した人から一定の権利を奪うのも当然とも言える。

 だが、犯罪や災害などの被害者は違う。 ただでさえ辛いその現実を受け止めてるのに、さらに世間からの厳しい風当たりを引き起こすのは新たな犯罪ではないか。なぜそっとしてあげられないのか。読者に同情してもらうためだけに被害者やその家族の赤裸々な事柄を全国に広める必要性があるのか?誰のための報道だ?実名がなくても同情は出来るし、アルジェリアで亡くなった方の冥福を祈ることも出来る。

 実名報道はやめてほしいが、もしやるなら各メディアは担当者の実名をすべて記事につけて掲載し、叩かれるだけの覚悟を持ってやってほしい。きっと、鬼女あたりの強者が、叩かれた記者さんの弔いのために、ソーシャルネットワークからその記者の関連情報をまとめて住所や家族のことまで晒してくれるでしょう。マスコミが被害者にしているようなことを。

 

日本のコンテンツプロバイダーに美意識はないのか?

スティーブジョブズが亡くなって1年以上になる。早いものだ。
彼が亡くなってすぐに彼の伝記本が出版され話題になり大ヒットした。そして日本版の装丁デザインがひどい、というのも同時に話題になった。

そして今回私が訴えるのはこれだ。

 

Les Miserables(レ・ミゼラブル)。

年末に見に行って最高だった作品だ。上がアメリカでのポスターである。それが日本にくると下のようになる。

私はそもそものLes Miserablesファンではなかった。だが今回見て感動して以来、いろいろ検索したし、ミュージカル版も気になって見たりもした。そこで知ったのは、映画版のポスターもミュージカル版を踏襲し「Young Cosette」であることだ。ミュージカル版もアメリカ映画版も、印象的で芸術的である。

 それが日本にくると、そういった美意識は完全無視して、ただ人気の役者たちを並べて大衆的に、そして陳腐化している。 本家ポスターにもない、ただのチョイ役のヘレナ・ボナム・ァーターの名前を出す意味もわからない。いや、わかる。どうしても「役者の顔や名前で売りたい」というのがまず最初にあるのだろう。そういう安易な方法にすぐに手を出してしまうのが日本のメディアなんだろうと思う。そうすれば客の食いつきも良くなるだろう?っと。

 消費者はたしかにバカである。簡単にPRに引っかかる。でも、バカにはしないでほしいのだ。バカでもバカと言われるのは腹が立つ。オリジナルのイメージや感覚というものがある。メディアはそれをそのまま消費者に伝えるパイプ役で良いと思う。クリエイティブな作品に無駄に手を加えないでほしいのだ。